お花見準備、いいですか?

もうすでにお花見準備にはいっているんですね。

今日はもう花見に行かれる方もおられますよね。

みっちょんパパです。

にほんブログ村

井の頭公園池。

昨日、すでに段ボールを敷いて、その上にブルーシートを覆って、場所取りしているグループがありました。

まだ、1~2部咲きですかね。

まだ咲いてない桜もあります。

この土日から再来週くらいはお花見のピークですね。

私たちはなぜ桜が好きなんでしょう?

桜は、古来から様々な名歌に詠まれ、民衆の間で愛唱されてきたようです。

造幣局の通り抜けも開催期間はわずか1週間、それも満開の時期を選ぶために直前になるまで決まらない。

「次の日曜日なら行けるが、天気はどうだろうか」などと、やきもきする心持ちは平安時代も同じだったのである。

「久かたのひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」(紀友則、850-904年)

陽がのどかに射している春の日に桜が咲いている美しい光景が目に浮かぶが、その桜の花は「しづ心なく」散っていく。

「しづ心」は「静心」で「静かに落ち着いた心」を意味するそうだ。

自分は、のんびりと静かに桜を見ていたいのに、そんな気持ちも理解せずに、桜の方はなぜ散り急いでいくのか、という口惜しい心持ちを詠んでいる。

のどかな春の日に咲き、しかしあっという間に散ってしまう桜は、日本人にとって人間の生と死の象徴であった。

「ねがわくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月(もちづき)のころ」

平安末期から鎌倉初期に生きた西行法師(1118ー1190年)の有名な歌である。「願わくば桜の下で春に死にたいものだ。釈迦が入滅した、旧暦2月15日の満月の頃に」という意味である。

西行法師は桜を愛し、約230首もの桜を詠った歌を詠んでいる。その桜の下で死にたい、という望みを果たすかのように、実際に2月16日に亡くなり、世の人々はその不思議に驚いた。

そして西行法師を弔うべく、墓の周囲に桜を植え、山全体を1,500本もの桜で覆った。

桜の咲く前から、今か今かと心待ちにし、天気はどうかとやきもきし、咲いては喜び、散っては惜しむ。

スポンサードリンク








さらには桜の木の下で死にたいとまで願う。日本人は昔から桜の花とともに生きてきたのである。
武士の世になって、咲いてはすぐに散る桜は、現世に執着せず、義のために命を捧げる武士の生き方の象徴とされた。

「花は桜木、人は武士」とは、この理想を謳っている。

ここで思い起こされるのは、アメリカ映画『ラスト・サムライ』。

里山の桜満開のシーンがありましたよね?

目に焼き付いているかんじです。

渡辺謙扮する「勝元」が戦いに負け、切腹する際に頭上から舞ってくる桜の花びらを見て、「Perfect! It’s all perfect(見事だ)」ともらす。

勝った官軍側はみな、勝元の切腹に、ひざまづき、ひれ伏す。

日本の武士道に対する深い敬意の籠もったシーンですよね。

『ラスト・サムライ』の原作者は、おそらく英語で武士道を紹介してベストセラーとなった新渡戸稲造の『Bushido』を読んでいたようです。

『Bushido』の原著では、緑色の表紙にタイトルとともに、次の本居宣長の歌が朱色に刻まれているという。

「しきしまのやまとごころを人とはば朝日ににほう山ざくらばな」

そして、著者は本文の冒頭で「武士道とは、日本の象徴である桜花にまさるとも劣らないい、日本固有の華である」と述べている。

この歌の「やまとごころ」、すなわち大和魂こそ、武士の精神であり、その大和魂は桜に象徴されると考えていたのである。

日本の国花になったのも、この宣長の歌に基づくと伝えられているんですって。

パッと、咲、パッと散る。

人の人生のはかなさを被せているんですね。

今の私は何分咲きになるのかな?

もう散り始めてるかな?(笑)

  • 20160326083619677.jpg

この記事へのコメント

広告